第一章イオニアの華
二、騾馬の王
五
その女は、スパコと呼ばれていたという。ヘラス(ギリシア)に伝わっている名前は「キュノ」である。何れも「犬」という程度の意味であるが、英雄譚の類型に良くある野生の獣に育てられたという伝承がそういう名前を導き出したのかも知れぬ。ヘラスでは女性の名前としてこの「キュノ」は良く使われていたようであるが、メディアで「スパコ」が実際に使われていたか否かは明確ではない。アジアでも人ならぬものに魅入られぬよう、夭折せぬようにと下らぬものの名をつけることがあるが、これもまたそういうものか。あるいは、奴隷階級の出身はそれが普通だったのかも知れぬ。
女は元同僚だった男と所帯を持って、数年が経過していた。美貌でも豊満でもないが、ふっくらとした温かさを持つ女で、夫はやわらかい微笑みに安らぎを見出していた。その妻が結婚数年目にしてようやく子を身籠り臨月を迎え、二人は貧しいながらにも幸福に包まれた日々を送っていた。もうそろそろ生まれるだろう、という頃。夫はアステュゲアスの寵臣ハルパゴスに呼び出され、妻は心細く留守居をつとめることになった。
ハルパゴスのもとから夫が帰宅した時、妻は自力で出産を終えたところであった。髪は乱れ放題で疲れ果て、涙のあとが頬を彩っている。そして、どこか呆然とした顔をしていた。
「あたしの、子…」
夫が入ってきたのにも気付かぬようである。生まれたての赤子を抱いたまま、身動きもしない。赤子は物音一つ立てず静かであった。
「スパコ?」
メデューサのような顔がこちらを振り向き。夫はごくり。と生唾を飲み込んだ。
「あたしの子!」
妻は夫の腕にあった包みを奪い取ると、号泣しはじめた。妻の腕にあった赤子がその膝にぽとり。と落ちる。その様を見て、夫は改めて息を飲んだ。臍の緒がついたままの赤子は息をしていなかった。……彼らの赤子は、死産だったのである。
「スパコ、その子はわしらの子じゃない。アンシャンのカンブージャ様とマンダネ様のお子様なんだ」
夫は必死に妻に語りかけたが、もはや妻は彼を見ては居なかった。取り上げようとすれば抵抗し、悪鬼のような形相で彼を睨みつける。彼に残された方法は、一つしかなかった。
妻が赤子の襁褓を取り替えた隙に、預かった赤子の衣類を手早く剥ぎ取ると、死んだ赤子にそれを着せて、彼はさも大事そうに抱えて山へと向かった。ハルパゴスの見張りが恐らく彼についている筈である。見られるのは構わない。しかし、今この赤子が死んでいることを悟られてはならぬのだ。山の奥深くに数日置き去りにして、さも衰弱死したように見せかけた上で渡さねばならぬ。妻のためにも、生きているあの小さな王子の為にも、それを彼は一人で成し遂げねばならなかった。
「わしの子、すまんな。勘弁しておくれ」
そう言って死んだ我が子を山の奥深くへ置き去りにした。
二日経って彼が同じ場所へやってきた時、赤子は彼が置いた時のままであった。見張りは彼が置き去りにしたことで、近寄って見ることはしなかったようである。泣声がなかったことを怪しまれなかったか、不安ではあったが。ほっと吐息を漏らした彼は、赤子の死体を持ってハルパゴスの屋敷へと向かった。赤子の死体を見せると、彼は満足気に「良くやった」と労いの言葉をかけた。そのまま王子アステュアゲスのもとへ赤子の遺体を抱えて報告に赴いたようである。彼はばれなかったらしいことに安堵しつつ、帰路を急いだ。こうしてメディア王の血を引く赤子は、彼……牛飼ミトラダテスの子として育てられることになったのである。妻は我が子だと信じ切ってありったけの愛情を子供に注ぎ、夫もまた心を病んだ妻に寄り添うように、その子を愛しんで育てた。本来赤子が居るべき家とは比較にならぬほどに貧しい生活ではあったが、裕福ではないにしても温かい家庭で育てられ、すくすくと成長して行った。そして数年の月日が夢のように過ぎ去って行ったのである。
牛飼ミトラダテスが生計を営む牧場に程近い野山で、メディア人の少年達数人が遊んでいた。年の頃は上が十三歳くらい、下は八歳くらいと言ったところだろうか。かけっこに厭きた一人の少年が「王様ごっこをしよう!」と言い出した時、運命の歯車はまさに回り始めたのである。少年達は話し合い、その結果十歳ばかりの一人の少年が王様に選ばれて遊戯は始まった。彼は年齢にしては些か小柄ではあったが、俊敏で賢く、近所の子供から頼りにされる「餓鬼大将」的な存在だった。彼はそれぞれの子供に役目を割り当て、それを統括する「王様」になった。
「王様」の少年は管理者として優秀だったようである。一人は建築家として宮殿を建設する。もう一人は家臣として政治に関与し、次の一人は王の護衛。それから監視役。そう言って各自役目を分担していくと、「王様」はそれを監督し、それに応じて褒美代わりの菓子を与えることにした。粗末な菓子ではあったが、少年の母が彼のために作った、言わば宝物のような菓子であった。無論量は潤沢にある訳ではない。それを分け合って食べるのだから一人分はごくごく少ない量となる。しかし彼は完全に平等になるよう、丁寧に別けておいた。
そこへ「監視役」の少年が現れた。「建築家」役の少年が働かないという。「家臣」と相談して、働くように「建築家」に命令したが、「建築家」は昼寝をしていた。
「これはどうするべきだろう?」
「王様」は少し考えたが、従う筈の王の命令を無視するのは明らかなルール違反である。「建築家」を他の子供達全員で捕らえ、藁を束ねたもので叩く罰を与えることにした。「建築家」はその中で一番大柄な子供だったけれども、流石に何人も相手に出来る程彼我の体力に差がある訳ではない。たちまちのうちに彼は罰を与えられた。そして役目を十分にこなさなかったという理由で「建築家」に「褒美」の菓子は与えられなかった。
藁束は痛いものではなかったけれども、多少裕福で力を持つ家の息子であった「建築家」は、帰宅すると自分のことは棚に持ち上げて「王様」の横暴さと自分が受けた制裁について母に身振り手振りを交えて話した。勿論内容は「建築家」の脚色により、殆どが改竄されている。彼を目の中に入れても痛くない母は早速夫のもとに赴いて、愛息が一方的かつ理不尽な暴行を被ったことを報告した。
子供の喧嘩に親が出るパターンは、古今東西同じようなものであるらしい。「王様」の少年にとって不幸だったことは、「建築家」の父親がメディア王子アステュアゲスの幼馴染だったことだろう。父親はアステュアゲスに、自分の息子が牛飼如きの子供によって恥辱を加えられたと訴え出た。子供の喧嘩と思っていたアステュアゲスがその「王様」を引見してみる気になったのは、「建築家」の言動に整合性がなかった為である。その話を聞けば聞く程に「王様」なる子供はしっかりしているようである。そう判断した王子は「王様」を召しだすよう命じた。