第一章イオニアの華

二、騾馬の王



十五


 リュディアに伝えられたデルフォイの預言の一つに、騾馬の王という言葉が登場するものがある。それは、今の王統の創始者であるギュゲスが、リュディア王としての地位をデルフォイに認められた時に得た神託であり、騾馬が王となればリュディアは滅ぶだろう。というものであった。騾馬とは牡驢馬と牝馬の間に生まれた雑種の生物であり、それが人間の国を支配する王となることはありえぬ。ならば、国がいついつまでも保たれるということであろう。とギュゲス王は解釈していた。それから数代後の王クロイソスは、嫡子アテュスを失って以来神託にのめりこむようになる。デルフォイに数多の財宝をつぎこみ、幾多の神託を得た。そのうちの一つに「クロイソスが河を渡れば、大帝国を滅ぼすであろう。ギリシアで最強の国を調べ同盟せよ」というものがあり、また別に「唖の子(アテュス以外にクロイソスにはもう一人、子がおり、その子が唖であったため、唖が治るにはどうしたらよいかという神託を求めたことがあった)の声を聴くことを欲すること勿れ」というものがあった。その真意をクロイソスが知るのは、もう間近に迫っていた。

 ハリュス河を国境として取りきめたのは、それぞれ先代の王である。メディア王キュアクサレスとリュディア王アリュアッテスの間に結ばれたその取り決めは、紀元前五八五年に定められ、両国の王子王女の婚姻を条件としていた。それから早くも三十年という歳月が流れている。その間、両国は多少の腹の探り合い程度はあったが特にいざこざもなく、円満のうちに次世代へと王位は受け継がれていた。そのバランスに変化が生じたのは、メディアがアンシャンによって征服された紀元前五五二年のことである。それまで、アンシャンと直に国境を接していなかったリュディアは、忽ちに新興勢力の脅威に晒されることになったのである。しかしそのアンシャンの脅威或いは真価について、詳しく知るものはまだリュディアにはいなかった。そこにクロイソスの誤算があったと言える。聡明を誇るものは相手を過小評価する傾向がある。見えていたとしてもそれはフィルタが掛かったように、その者の目には映りこまない。しかし。滅びるまで目を醒ますことが出来ぬ者が、真に聡明であると言えるだろうか?

 アンシャンとの決戦を前に、クロイソスは同盟諸国へ遣いを出していた。勝てる戦いならなおのこと慎重に、敵より多く兵を集めねばならぬ。世界で一番精確なデルフォイの神託は、リュディア王クロイソスとその国を祝福しているかに見えた。鍾愛深かった嫡子アテュスを失ったあと、クロイソスは継がせる者の居なくなった王国の版図を拡大することに意欲を燃やしていた。惜しみなく財宝を神殿に寄進し、神託を乞い。神の恩寵を希った。それだけのものを寄進しているのだ。神が恩寵を垂れ賜わぬ筈がない。リュディア王はそう確信していた。

 その年、メディアから一人の男が亡命してきた。名を、アルテムバレスという。年の頃は五十に満たぬところであろうか。貴族的といえば聞こえは良いが、メディア王に近いという血統の良さを鼻にかけるところがあって、些か高慢な振舞いが目立った。頭の回転の速さは不明だが、その小さく小狡い目が、油断ならぬ人物であることを思わせた。そのアルテムバレスが日毎夜毎クロイソスに囁きかけている。アンシャンを攻め滅ぼせ、と。それは甘い蜜のような誘惑であった。かつて授かった神託もまた、その甘い誘惑の後押しをしている。時宜など待つまでもない。自分が攻めていけば敵は敗れるのだ。そう耳元で繰り返されているうちに、やがてクロイソスは、自分がいまや大帝国となったアンシャンを滅ぼす運命をもって生まれたのだと思うようになっていた。実際に、リュディアは近隣諸国随一の騎馬隊を持っており、その馬上から繰り出される長槍による攻撃には定評があった。勇猛果敢と武勇とは、リュディアの人々のためにある言葉であると思う者は少なくなかったから、クロイソスの考えに同調するものがいたとしてもおかしくはない。それが徐々に運命の歯車を狂わせていくことになると予想し得たものは、まだ多くはなかった。
リュディア王はカッパドキアに兵を進める準備を調えていた。唯々諾々と従う人の多い中、一人だけそれに異を唱えた人物がいる。サンダニスというリュディア人であった。その要旨は非常に的を射たものではあったが、クロイソスの慢心を説得するには至らず、かくしてリュディアにも風雲急を告げる事態が迫ってきていた。日夜アルテムバレスが耳元に囁き入れた言葉のせいもあるが。クロイソスが兵を進めようとしたもう一つの理由は、仇討ちであった。メディア王でありクルの祖父であったアステュアゲスは暴虐の王として知られていたが、その妻はクロイソスの姉妹であり、言わば二人の王は義兄弟にあたる。リュディア王はクルが自分の祖父を下しメディアを征服したことに憤りを感じていた。傍からいやクルからみれば寧ろそれは言いがかりに等しいが。それをクロイソス自身は義憤と考えていた。認識の食い違いは意見の食い違いに繋がる。かくして。かつてのメディアとリュディアのように、対峙し。しかしこの時は月蝕も日蝕も起こらなかったので、結果はかつてのメディアとリュディアのように講和締結では終わらなかった。
 両軍が対峙したのは、プテリアというカッパドキアの一地区である。この地区では最も要害堅固な場所であり、リュディアはここに陣地を構えて地域住民の田畑を荒らしまわり占領奴隷化し。加えて近隣の町も全て占領して、人々をかき集め或いは強制して立ち退きを命じた。クルとてもさして変わるものではない。自らの軍隊をあつめ、通過する地域民を悉く引き連れていった。また、軍隊を動かす前にイオニア諸都市に使者を送り、リュディアからの離反を促した。大多数のイオニア人はそれに従うことを潔しとせず、両軍は対峙して陣地を構えることとなった。こうして、何の罪もない人々も、否応なくアンシャンとリュディアとの戦乱の禍に巻きこまれていったのである。

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