流鳥物語〜ぼくの旅〜
十
ぼくは、『最果ての氷の島』を目指して、南へと泳いでいた。海は深い闇みたいな色で、気が遠くなりそうなくらいに冷たい水が、とっても気持ちが良い。この底はいったいどこにあるんだろう。きっと、とてもとても深いんだろう。ぼくは手近にいたオキアミをぱくん。と食べた。その瞬間、ぶわっと涙がわいてきたんだ。なんだろう。胸がつん。ってなって、すごく切ない。でも何か、懐かしいんだ。オキアミなら今までだって食べてた筈だ。でも、このオキアミはちょっと違う。何でなんだろう。そう思いながら進んでいくと、ペンギン族の群に出会ったんだ。オレンジ色の足と嘴、両目のすぐ上から伸びて天辺で繋がってる白い帯みたいな模様があって、それがとても素敵だった。どうも皆で狩りをしてるみたい。ぼくは狩りの邪魔にならないようにそっと避けて、少し離れた場所から、その様子を観察してた。
「うわあ」
多分そのペンギン族が吐いている息なんだろう。白くて小さな気泡が、南の海の、深い深い闇に数え切れないくらいに広がって、とても幻想的に見えた。包囲網を狭めて小魚やオキアミだらけになったそこを、今度はペンギン族が次々に素早く泳いで、獲物を捕まえてる。ものすごく呼吸のあった連携プレー。狩りは大成功みたい。
思わず見惚れていたんだけど、良く考えたらまた邪魔になっているかも知れない。ぼくは慌てて水面に戻った。そうしたら、さっきのペンギン族がどんどん近くの岸に上がっているのが見えた。濃い黒色をした地面には、もう既に到着しているペンギン族がいるのが見えた。それもたくさん。そうか、ここはコロニーなんだ。
「あなた、お帰りなさい」
「ただいま」
そんな声がそこかしこから聞こえてくる。すごく優しい気持ちが籠もった声だっていうのは、ぼくにもすぐに判った。胸の中に温かい光が灯ったみたいに。
「おい?」
「はい?」
唐突に声を掛けられて、ぼくはそのまま反射的に答えた。その声の聞こえた方を見ると、コロニーの住人が皆こちらを向いていた。
「うわあああー! ごめんなさいっ!!」
慌てて水に飛び込もうとしたけれど、何時の間にか結構進んでたみたい。ぼくは思いっきりすってーん。って転んでしまったんだ。
「あらあら。しょうのない坊やね」
綺麗なオレンジ色の足が近づいてきて、静かに、そして優しく頭を撫でられた。
「大丈夫? 立てるかしら? おっきしてご覧なさい?」
ぼくは声を掛けてくれたペンギン族を驚かせないように、出来るだけゆっくりと、そしてそっと立ち上がった。でもそのペンギン族はちっとも驚いていなくって、それどころか、ぼくと目が合うとにっこり。って笑ってくれたんだ。
「怪我はない?」
「は、はいっ!!」
空から降ってくるみたいな綺麗な声に、ぼくはどきどきして直立不動になった。そして、そのペンギン族が意外に大きいことに気付いたんだ。今まで会ったペンギン族の中で一番大きかったのは、キンさん。そのキンさんよりほんの少し小さいくらいだと思うんだ。でも、あれ。さっき、ぼくのことを「坊や」って呼んでくれた。ってことは、ぼくが若鳥だって一目で判ったってことだ。そしたら、もしかして…!
「あの…! ぼくみたいなペンギン族をご存知ありませんか?」
「え?」
首を傾げたら、頭の白い帯も一緒に斜めになって見えた。
ぼくがすっかり話し終えた頃には、結構な時間が経っていた。そのペンギン族――ジェンさんと名乗った――は、しょっちゅうつっかえて聞き苦しいだろうに、ぼくの話を根気強く静かに聞いてくれた。
「確かにあの『最果ての氷の島』には、あなたと同じか、それより大きいペンギン族がいるわ。とても大きなコロニーを作って、連帯感がとても強いんですって。ただ、あなたみたいな羽の色をしたペンギン族は居ないわ」
「そう、ですか……」
「ただ…」
「ただ?」
ジェンさんは少し言い淀んだけれど、結局頭を振って。
「いえ、なんでもないわ。行って、確かめて見るのが一番でしょう。冷たいのは大丈夫ね?」
深く肯くと、またあの優しい笑顔を見せてくれた。
「行きなさい。あなたの太陽が待つ、その場所へ」
ぼくはジェンさんに頭を下げて、『最果ての氷の島』へと向うために、また冷たい海に飛び込んだ。
深い深い青がどこまでも続いている海を南へと向う。その先に、漸く何かが見えた。ずっと聞いていた『最果ての氷の島』かも知れない。青い海の上に、白い雲にほんの少し海の水の青を混ぜたような、ものすごく白い、でも澄んだ色の壁が見えた。今まで見たどんな崖よりも鋭く切り立ったそれは、海からそそり立っているようにも見える。と思ったら、その天辺の近くの塊が、いきなり凄まじい音を立てて崩れおちて、ゆっくりと海に沈んでいくのが見えた。「凝縮された海」そのものみたいな透き通った青白い塊は、あまりにも鮮やかで、そして崩れ落ちていく様は圧巻だった。ぼくは思わずあんぐり口を開けて見ているしか出来なかった。海の上にも白いものが沢山浮かんでいる……というより、近づくと、雲みたいに白くてふわふわってしているように見えるものがあった。その隙間に海が覗いているのが見える。という方が正しいのかも知れない。勢いこんで飛んだらそのまま氷の下に落ちちゃうんじゃないかって、一瞬怖くなったけれど、ぼくはどんどん近づいて行った。そして、えいやって思い切ってジャンプして、白いものの上に飛び乗ろうとしたんだ。でも、その時。ぼくは反対側から海に飛び込もうとしている影があるのに気づいた。
「うわわわわ」
ぼくは悲鳴を上げたけど、既に飛んじゃってるんだ。方向だって変えるのは難しい。せいぜい、フリッパーでほんの少し方角を変えるのが精一杯だった。相手もそうだったらしくって、でも正面衝突は何とか避けられた。空中でフリッパーがちょっとぶつかって、お互いに白いものの上に落ちたから、怪我も大したことないみたい。良かった。
「ごめんなさい、大丈夫でしたか?」
声をかけて、そちらの方をみて、ぼくは心底吃驚したんだ。キンさんに良く似たペンギン族が、そこに居たんだんだもん。でもキンさんより背中が黒っぽいし、もっと、ちょっと横に大きく育ってる感じがした。でも何より驚いたのは、そんなことじゃないんだ。
「ふー。痛てて。俺様に感謝しろよ? 俺だから避けられたんだからな」
フリッパーで頭を撫でて、そのペンギン族はそう言った。でもあれは不可抗力じゃないかな。ってぼくは思ったんだ。そのペンギン族がぼくを見て「うん?」って顔になるまでに、そんなに時間は掛からなかった。ペンギン族は、とてもぼくに似ていたんだ。色の違いはあるけれど。