第二章英雄の末裔
二、ペルセウスの末裔
一
ヘラス(ギリシア)の人々に限らず、自分の国が世界の中心であると信じる人々は多い。特に古代文明が発達した国ではそうなってしまうのもやむを得ない。近隣諸国に自国と同等程度の勢力を持つ国がなければ、そういう気風が助長されるのも仕方ないと言える。そのヘラスに伝わる伝説に従えば、ペルシア人(ペルセス)はペルセウスがアンドロメダ姫と結婚して生まれた子ペルセスの子孫ということになる。アンドロメダ姫の父ケフェウス王に後嗣が無かった為と説明しているが、名前が似通っていることから、勝手に連想し或いは創作した物語であると考えた方が正しいだろう。ケフェウス王にしても全く関係ないようであるが、ヘラス人が昔ペルシア人を「ケフェネス人」と呼んでいたことから、関係づけられたようだ。単なる語呂合わせとも言えるが、ヘラスの人々がそれでも身近な英雄を異国の民の先祖として考慮する辺りには奇妙なおかしみがある。
ペルシア王キュロス二世によるリュディア王国の征服は、紀元前五四六年のことである。ついで彼は小アジア沿岸のヘラス(ギリシア)植民都市を支配下におき、また周辺諸国を僅か数年の間に一気に傘下におさめる。成立期のペルシアの領土は、ペルシア湾北岸の都市スーサとペルセポリスを含めた然程広くはない土地だったが、彼はその在位中に成立期の数十倍もの面積を誇る「大帝国」を作り上げた。アケメネス朝ペルシアの「大王」と呼ばれ、ペルシアの父と言われる、事実上の建国者と言って良い人物である。
メディア王女を母に持ち、ペルシア王カンビュセス一世を父として生まれた彼は、数々の預言に彩られた生涯を生きた。その後を継いだ長子カンビュセス二世もエジプトを征服し、領土拡大につとめた。彼がもし非命に倒れなかったら、その後の世界史は今とは違うものになっていたかも知れない。カンビュセス二世もまた、預言に惑わされ踊らされた人生を送った。預言や神託というものがどれほど人々の心に深く影響を与えたか、良く判る実例である。即位してから没するまで数年間のカンビュセス二世の事跡を見る限り、少々逸脱した言動が見られる。それは狂気のもたらしたものなのか、それとも王位についた故に羽目を外してみたくなったものか、それは俄かに判断がつかない。
カンビュセス二世の行動は、ヘロドトス「歴史」を読む限り、狂気の色が濃く出ている。しかし、そのままそれを真実と断定するには、情報が少なすぎる。現在残されている資料の多くは「歴史」やそれを参考に書かれている文献が多く、一方向からのライトだけが強く照らされている状態に過ぎない。「勝てば官軍」とは言うが、最終的勝利者が事実を捻じ曲げ、自分達に都合の良いように歴史を書き換える例はいくらでもある。悪行三昧をなしたように書かれてはいても、実際その通りに悪行をなしたとは限らないし、またその行動の意味も現在考えられているものとは異なる場合がある。
その一つに、婚姻がある。先王キュロス二世は叔母を妻としたが、カンビュセス二世は幾人かいる妹のうちの二人を妻とした。一人はメロエといい、もう一人はアトッサである。ヘロドトス「歴史」には、カンビュセス二世が暴虐の王で、自分の実妹に想いを寄せて妻にしたいと望んだが、兄弟間の結婚はペルシアの慣習に反していることを知っていた為、王付きの法官を呼んで姉妹を妻にする方法を問い、それを実現させたとある。だが、ペルシア王家では、兄妹婚はごくごく普通のことである。古代日本でも天皇家では兄妹婚は普通に存在した。古代日本の婚姻で興味深いのは、同母兄妹は不倫だが、異母兄妹は許されるということだが、ペルシアではどちらも問題なかったようである。とすると、カンビュセス二世が真実暴虐の王であったかどうかについても、疑問の余地が残るのである。バルディヤの死後、メロエはそれを悼み哀しんで王の不興を招き、身重でありながら殺されたという。だが、これがダレイオスの即位を正当化するための布石或いは後の時代に付け加えられた伏線であると考えれば、どうだろうか。
エジプト滞在中のある夜、カンビュセス二世は夢を見た。彼のもとへ、ペルシアから使いがやってくる夢である。その使いが報告するには、カンビュセス二世の実弟であり先王キュロス二世の次子であるバルディヤ(スメルディス)が玉座に座り、その頭が天に触れている、という。目が醒めてのち、もともと嫉妬深いところがあるカンビュセス二世は近侍のプレクサスペスに弟の殺害を命じた。プレクサスペスはバルディヤを殺害したと復命したという。
エジプトで、カンビュセス二世は「バルディヤ謀反す」の報を受け、近侍プレクサスペスを睨んだ。プレクサスペスは己が仕損じていないこと、留守番役として残してきたマゴス(僧侶)の弟がバルディヤに良く似ている旨を付け加えた。王は急ぎペルシア本国へ戻ろうと馬に飛び乗り、はずみで刀の鞘が外れた。抜き身になった刃が王の太股に突き刺さり、深い傷を負ってしまう。そして、かの夢の「バルディヤ」が自分の弟ではなく、マゴスの弟「バルディヤ」であると気づき、弟の殺害を悔いて、二十日の後に落命した。と「歴史」にはある。だが、それほど似ているしかも同名の人物が、別人というのは信じがたいし、寧ろ本物の弟が生きていた方が納得が行くような気がする。ましてや、「バルディヤ」はカンビュセス二世が遠く離れたエジプトにいる間にクーデターを起こしたとあるが、その折カンビュセス二世の妻たちを一人残らず自分のものにしたという。その中にはカンビュセス二世及び「バルディヤ」と兄弟に当たるアトッサも含まれていた筈で、兄弟である「バルディヤ」を彼女が見誤るというのは少々信じがたい。それにもし偽者であるなら、それに気づいて何か手立てを考えても良さそうに思える。仮に軟禁されていたとしても、外部と全く連絡が取れない状態ではなかったろう。この後、ダレイオスが登場しアトッサを含めたカンビュセス二世の妃たちを娶ることになるのだが。そこでクーデターを起こした「バルディヤ」が本物であった場合、それを倒したダレイオスに正当性はかけらもない。そのため、この「バルディヤ」を偽者に仕立て上げる必要があったのではないか。と思うのである。のちにカンビュセス二世の後を襲ってペルシア王になったダレイオスは、前王の娶った女だけでなく、キュロス二世の娘や孫(カンビュセス二世には男女何れの子もなかったが、バルディヤには娘が一人居た)も全て妻としたが、王位を継承する正当性を裏付ける根拠が皆無であったためではないかとも思う。アケメネス朝ペルシアといい、キュロス二世とは血の繋がりがあると宣言してはいるが、キュロス二世とダレイオスの父ヒュスタスペスが再従兄弟という関係が真実であるなら、もっとより血の近い者が居てもおかしくはない。「ペルシアの父」キュロス二世は偉大すぎる王であった。その王の血を引かぬ王、ダレイオスとしては、自らの即位に正当性を持たせるためにキュロスの血を求めたのではないかと思えるのだが。当て推量はここまでにしておこう。
カンビュセス二世が、逝った。
あまりにもあっけない、王の死。まだ若いと言える王には、嗣子がいない。後を継ぐものを考えれば、王弟バルディヤしか居らぬ。偉大なるペルシアの父キュロス二世の子は、あまり多くはなかった。カンビュセス二世、バルディヤをはじめとする数人がいたが孫となると僅かに一人。バルディヤの娘であるパルミュスのみである。亡き王の遺骸を目の当たりにした側近たちは、暗く圧し掛かる未来に想いをはせた。カンビュセス二世王と王弟バルディヤはあまり仲が良くなかった。前王の近侍という目障りなものをバルディヤ王はどうするか。それが彼らの最大の気がかりであった。
「いっそ王を廃してしまえ」
カンビュセス二世王も名君とは言い難い人物であったが、その弟についても名君と呼べるかどうか。偉大すぎる父王キュロス二世に比較することは気の毒であるにしても、出来ればもう少し近侍の者に配慮してくれる人物を王と据えたい。
「巧い手立てがある。それを実行するか否かはうぬら次第だが」
そう呟いた男がいた。暗い部屋の片隅から、瘴気のような呼気がふわりと漂ってくる。その言葉に思わず身を乗り出しかけたものは、一人ふたりではない。
「どうすればいいというのだ?」
途方に暮れたような声が、先を促すように響いた。我が意を獲たり。と男はにやりと笑った。